年輪ピックに出場して

尾崎 健次

 この度、2016年10月、長崎で行われた全国健康福祉祭(年輪ピック)に出場して参りました。碧南剣道連盟の皆さんには多大な激励を頂き、この場をお借りし、お礼方々、報告をさせて頂きたいと思います。

 この度の年輪ピックの出場は、私の長年来の目標でありました。七段取得と全国大会出場の大目標を達成でき、剣道を志したものとして、これほど嬉しいことはありません。しかし、この道のりも、私にとって容易なものではありませんでした。高校時代のインター杯出場経験から、その後、是非、もう一度全国大会の出場をと機会を窺っていて、教員大会では、後一勝ということを2度ほど経験しましたが、なかなか実現しませんでした。年輪ピックも去年から出場し、その時は第1回戦で秒殺される結果でした。つくづく県予選のレベルの高さを思い知らされました。それでも、会長の原田勝美先生やその他、西三の高齢者剣友会の先輩方の出場経歴に励まされ、今年も挑戦してみました。予選の出場も容易なものではありませんでした。突然襲って来た腰痛や当日午前に行われた町内一斉草取りの行事もあって、今回は駄目元のような参加でしたが、その分、硬さも取れ、小手打ちの改良も攻を奏して、目出度く優勝できました。強運の神がかり的な結果でしたが、これも、今年、町内の区長をやらせて頂き、氏神様に神事、お祓いを何度もやって頂いた御陰かも知れません。

 その後、碧南市剣道連盟を始め、県の剣道連盟、西三高齢者剣友会、愛知県、西尾市から盛大な激励を受け、この栄誉を心から喜びました。しかし、その激励が大きければ大きいほど、同時に県の団体代表という責任感もずっしりと感じました。大会までの5か月間、練習の場所も週2回の碧南での練習の他、二つの高校での練習、月2回の西三高齢者剣友会、月1回の県の稽古会には休まず出席しました。特に西三高齢者剣友会の先生方には合宿で練習試合や稽古、夜の懇親会で熱心にご指導頂き、そのことがどれだけ力になったか分かりません。この場でお礼を申し上げます。しかし、それらの練習が自分にとってオーバーワークだったのかも知れません。体のあちらこちらが変調をきたすようになりました。踵の痛みがひどく、寝起きには歩行が困難な時がありました。また、目の方も異常をきたし、飛蚊症や白内障の症状が出てきました。本番を迎え、出場困難になるのを心配し、早めに医者の診察を受け、それほどひどくはならなかったものの、内心冷や冷やでした。年輪ピックはつくづく年齢との闘いでもあると思いました。

 五島列島は長崎市の西100キロに位置し、人口5万人くらいの離島です。奈良時代の昔から遣唐使の最終寄港地として知れ渡り、空海や鑑真の足跡もある歴史的に由緒ある島です。また、江戸時代以後、キリシタン弾圧の逃れの島として、独特の文化も持ち、黒潮の流れを受け、椿や鯨、トビウオなどの豊かな産物に恵まれた独立王国の面影も残っていて、ホテルの名前もそのままコンカナ王国でした。初日はバスで開始式の会場の下見に行きました。五島市は剣道と俳句の会場になっていました。どうして剣道と俳句かというと、ご当地は共に剣道と俳句が盛んな土地柄で、それぞれ有名な先生を輩出しているとのこと。今回の愛知県選手団の監督の松下明房先生もご当地のご出身というご縁でありました。ホテルで選手団一同、必勝の誓いの宴を持ちました。建物が宿泊棟、入浴棟、レストラン等リゾートのコテージのように分かれており、入浴後の暗い外路を迷いながらレストラン「バラモン」(凧のデザインになっており、現地の方言で元気者の意味)に向かいました。敷地の真ん中には大きな池が配置されており、10月14日の月が水面に映っていて、芭蕉の句を連想しました。

名月や池を巡りてバラモンへ

 翌日は島内観光と開始式。朝食後の空き時間を利用し、近くの鬼岳という噴火口の山まで同室の黒柳先生と食後の散歩に出かけました。片道20分の距離でありましたが、展望台からは五島市の市街や試合会場まで一望できました。絶好の景色を背景に二人揃っての記念写真をと思っていたら折よく三人グループの女性客が登場。先ずはそちらからということでカメラを構えたら、いきなり、踊りのようなド派手なポーズ。こちらの撮影の時も年輪ピックの選手ということを知っていて、ポーズの注文をして来たので、剣道の構えを御披露。その後、揃って記念写真をと思っているうちに、いつの間にか姿が消えました。まるで鬼岳に舞い降りた天女のような瞬間でした。

 昼食は竹内事務局長の案内で、五島市きっての活け魚料理店「心誠」に入りました。特に刺身、てんぷらがおいしく、皆さん五島の魚を堪能。 その後、市が手配した五島バスで市近郊の名所観光。若いが品がよく、気の利くガイドさんが名調子で、先ずは 堂崎天主堂の見学。隠れキリシタンによるキリシタン再興の教会として有名。岬の先端にあり、潮の干満の差が大きく、その時は海が干上がって船が陸に取り残されている光景がとても珍しい感じがしました。次は鐙瀬熔岩海岸でしたが、駐車場に到着してから、工事中で見学ができないと分かり、ガイドさんは大弱り。しかし、意外と慌てた様子を見せず、今朝、我々が登った鬼岳に急遽予定を変更。その臨機応変な落ち着き具合に感心。最後は五島城の城跡をバスの中から案内。今はお城の代わりに五島高校が立っており、周囲が海水を引いたお濠に囲まれているのが贅沢。そのことをガイドさんが、「自分もこの高校出身で、男子はお濠の藻の掃除、女子は石垣周辺の草取りと苦労の跡を見て下さい。」と説明していて、郷土意識が溢れて、共感を覚えました。

椿見て何やら嬉し五島かな

 17日に予選が行われました。早朝に、中庭で松下監督のご指導の下、ストレッチと素振りの準備運動が行われました。朝一番の運動はその日一日の身体の動きを良くし、士気を高めるのにとても効果的でした。試合は4チームリーグの中で2試合行われ、1位のチームが決勝トーナメント出場の16チームに選ばれるというもの。初戦が佐賀県で九州勢ということで、手強い相手でしたが、2勝0敗で勝ちを収め、勢いに乗ることができました。第2試合は滋賀県で、4勝0敗の好成績を収め、翌日の決勝トーナメント出場を決めました。

 メインアリーナに隣接して武道場があり、そこが練習会場と選手控室を兼ねていました。そこで以前碧南で剣道教室を持って頂いていた相模原市の八木洋捷先生と、由仁町との交流で碧南にお来し頂いた北海道の高井雅一先生にお会いしました。剣道が取り持つご縁で、このように全国的な交流ができることにしみじみ感謝しました。また、練習会場ではテレビの「炎の体育会」の剣道で出演している渡辺正行さんが熱心に練習していて、話題の材料を提供していました。

五島では鯨イルカが飛び跳ねる 

 二日目、決勝第1回戦は熊本市と当たり、何とかベスト8への道が開けないかと期待しておりました。先鋒引き分け、次鋒引き分け、中堅が2本勝ちと順調に試合が進み、これはいけると思っていた矢先、今大会で今まで一番調子の良かった副将がまさかの2本負け。大将引き分けの代表決定戦で苦杯を飲むことに。それでも、全国ベスト16は私にとって身に余る光栄で、大満足。優秀賞のメダルも頂きました。1勝2分けの負けなしでしたが、試合運びとして、負けを警戒して思い切った技が出せなかったことは大きな反省点でした。攻めの剣道がなければ勝ちもないし、剣道自体も楽しめない。次回、もしチャンスがあれば、攻めの中で思い切った技を出し、楽しむ剣道を目指してみたい。今回の全国大会参加経験は私にとって掛け替えのない経験になり、剣道への意欲を益々掻き立てられる貴重なものになりました。これも今回の監督、選手、事務局の方々の御陰です。本当にいいメンバーに恵まれました。特に、監督の松下先生からは五島特産の椿の苗木をお土産に頂きました。私の一生の宝です。また、高齢者の稽古会、県の稽古会に毎回ご同伴下さり、いつも細やかな心遣いをして下さった、安城の黒柳先生には感謝の念に堪え得ません。この場をお借りして心よりお礼を申し上げます。

身を捨てて攻めてぞ掴む勝ちの星
老いてなお更に楽しむ剣の道

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